東京地方裁判所 昭和25年(ワ)5381号 判決
原告 猪俣太作
被告 塚本留蔵
一、主 文
被告は原告に対し金八万円及びこれに対する昭和二十五年十月三日から右支払の済むまで年五分の割合による金員を支払うべし。
訴訟費用は被告の負担とする。
この判決は仮に執行することができる。
二、事 実
原告訴訟代理人は主文第一、二項と同趣旨の判決並に仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、原告は昭和二十五年六月十九日被告からその所有の東京都渋谷区下通り三丁目三十三番地にある木造建物一棟建坪十坪を同建物の敷地に対する借地権とともに、代金は十七万五千円、その支払方法は四回の分割払とし、第一回は即日二万五千円、第二回は同月二十日一万五千円、第三回は同月二十六日十万円、第四回は同年七月二日建物の明渡及びその所有権移転登記と同時に三万五千円をそれぞれ支払うこと、右第一、二回の割賦金合計四万円は取引の完了するまではこれを手附とし、原告が不履行をしたときは被告はこれを没收し、被告が不履行をしたときは被告はその倍額を原告に返還するということで買い受ける約束をし、右約旨に従い同年六月二十日までに被告に対し手附金四万円を支払つた。しかるにその後に至り、右敷地は東京都所有の土揚敷であつて被告はその借地権を有せず且つこれを取得することも不能であるばかりでなく、その地上の右建物も同都から移動式の小屋としてその設置を許されているに過ぎないものであつて、被告は到底右売買契約を履行し得ないことが判明した。よつて、被告に対し前記特約に基き右手附金の倍額八万円とこれに対する訴状送達の翌日である昭和二十五年十月三日からその支払の済むまで年五分の民事法定利率による遅延損害金の支払を求めるため本訴に及んだ次第であると述べ、被告の主張事実を否認した。<立証省略>
被告は原告の請求を棄却するとの判決を求め、答弁として、原告主張のような売買契約ができ、原告がその約旨に従つて昭和二十五年六月二十日までに被告に対し手附金四万円を支払つたことは認めるが、原告は本件敷地は都の所有であつて、被告にはその借地権のないこと及びその地上の本件建物についてもその所有権移転登記はできないものであることを知つて本件売買契約をしたのであるから、原告の本訴請求は失当であると述べた。
三、理 由
原告主張のような売買契約ができ、原告がその約旨に従つて昭和二十五年六月二十日までに被告に対し手附金四万円を支払つたことは当事者間に争がないが、原告本人訊問の結果によれば、本件敷地は都所有(この事実は当事者間に争がない)の土揚敷であり、また、その地上の本件建物は都から移動式小屋としてその設置を許されているに過ぎないものであつて、右土地について借地権を取得し、その地上建物について不動産としての登記することは右売買契約の当初から不能であつたことを認めるに難くないから、右売買契約は不能の事項を目的とする無効の契約と認めるの外はない。しかしながら、売買契約に附随してなされる手附倍返の特約は、その本質は売主が不履行をした場合の損害賠償の額を予定し、これが支払の責に任ずる契約であつて、売主がその債務を履行しない場合に始めて効果を発揮するものであるとともに、原始不能による売買の無効は、これを結果的に見れば、売主がその債務を履行しない場合と何等選ぶところはないから、原始不能の売買契約を結んだ売主に故意、過失のあつた場合には、売買それ自体は無効であつても、その売買に附随してなされた手附倍返の特約はなお効力を有し、売主はその債務不履行の場合に準じて特約上の債務を免れ得ないものと解するを相当とする。さて、本件にあつては、被告は右売買の目的物の一つである建物の所有者として前認定のような原始不能の事実は充分にこれを知つていたものというべきであるが、しかるときは、被告は右無効の売買契約の締結について故意少くとも過失のあつたものと認めるの外はないから、被告は右売買に附随してなされた原告主張の手附倍返の特約上の債務を免れ得ないものといわなければならない。被告は原告は右売買に当つて原始不能の事実を知つていたと主張するけれども何等その立証をしないから、右知情の事実を前提として被告には右特約上の債務はない旨の被告の抗弁は採用することができない。
さすれば、被告は原告に対し先に原告が被告に支払つた手附金の倍額八万円の返還義務を負つていることが明瞭であるから、被告に対し右金員とこれに対する訴状送達の翌日であることが記録上明白な昭和二十五年十月三日からその支払の済むまで年五分の民事法定利率による遅延損害金の支払を求める原告の本訴請求を正当として認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条、仮執行の宣言につき同法第百九十六条の各認定を適用して主文の通り判決する。
(裁判官 田中盈)